父親・天鼓の霊:津村禮次郎
帝の使者:安田 登
笛:松田弘之 小鼓:幸 正昭
大鼓:安福光雄 太鼓:小寺真佐人
世阿弥作の唐物の能。後漢の時代、天から降ってきた鼓を持つ少年「天鼓」は、その鼓を打ちならし見事な音をだす。帝はこれを聞きその鼓を無理やり召し上げ、天鼓を呂水の川底に沈めてしまう。それ以来鼓は音を出さなくなってしまった。父親王伯が宮殿に呼び出され鼓を打つと絶えなる音が出た。帝は非を詫びて呂水のほとりで管弦の弔いを行うと、天鼓の亡霊が現れ愛用の鼓に戯れて打ち鳴らし舞遊ぶ。やがて夜明けと共に天鼓は消えうせる。前半の親子の情愛の深さ、悲しみと喜び、後半は少年が舞う有様を躍動的に見せる。「弄鼓之舞」の特別演出により、後半は鼓を弄し、狂わんばかりの少年の姿が美しく描かれる。
山伏:山本泰太郎
太郎冠者:山本則重
主人:山本則秀
修業を終えて帰る途次の山伏が昼寝をしていると、主人の命令で不老長寿の薬となるカタツムリを探して太郎冠者が来かかる。あれこれカタツムリの様相を話すうちに、山伏は自分こそそのカタツムリだと言って、様々にカタツムリの姿をまねして太郎冠者をだます。すっかり信じきった太郎冠者は山伏を主人のもとにつれて行こうとするが、山伏はそれは困ると「でんでん虫」の囃子物を歌い言い逃れる。そこに主人が現れ、太郎冠者をとがめるどころか、三人の大合唱、観客もついついその歌に引き込まれてしまう。どこか現代社会の危うさにも通じる狂言である。
森山開次
津村禮次郎
能「天鼓」をモチーフとし、天と地の間で舞狂う少年の姿、霊的な和の世界を全面に出した森山開次の新境地を開いた意欲作。シンプルな舞台は能の現代版ともいえる。津村は、父、帝、また天地に響く情念を謡い舞う。「狂いそうろふ」というオリジナルタイトルの初演はアフリカンパーカッション、現代のドラムスの演奏で新国立劇場、その後パリ、ローマ、ホーチミン市で公演された。今回は能楽囃子バージョンの新演出で上演する。